世 に科学 的説明 として通用 してい る言説 の形而 上学 的前提 を暴 き出 し,科 学 とみ えた ものの 中に科学 な ら ざるイデオ ロギ ーが潜 んで い る ことを明 らか にす るの も,メ タサ イエ ンス=科 学 基礎 論1)の 使 命 の ひ とつ で あろ う。ここで槍 玉 に上 げるの は,「私 は なぜ生 まれ た の か」と い う人生 最大 の謎 にた い して,小 学 校 中学校 な どの性教育 の現 場 で与 え られ てい る科学 的説 明 なる もので ある。 この説明 は,3段 階 か らな る。 (1) なぜ 生 まれた のかの 「なぜ 」を,「 理 由」や 「目 的」 で はな く 「原因」 の意 味 に解 す る。 (2) 私 の生 まれた 「原因 」 を,母 親 の卵 子 と父親 の 精子 の結合 とい う生物 学的事 実 に求 め る。 (3)「1回 の性 交 で射 出 され る お よそ5億 の精 子 の うち,1個 の みが卵子 と結合 で き,他 は死滅 す る。もし 卵子 と結合 したのが他 の精 子 であ ったな らば,私 は生 まれな かった だ ろう。 つ ま り私 の出生 は5億 分 の1の 確 率 しかな い偶 然 であ った こ とに なる」 と,論 理展 開 す る。 この あ と,「この よ うな起 こ りそ う もな い偶然 の賜物 であ る生 命 は尊 い,云 々」 とい う,訓 戒 が続 くこ とが 多い。 これ を称 して「生命尊 重教 育 としての性教 育 」と い うの であ る。 具体 的な議論 に入 る前 に,メ タサ イエ ンスへの筆 者 の立場 が 「メタサ イエ ンスへ の科学心 理学 的 アプ ロー チ」(2)にあ るこ とを一 言 してお きた い。 こ こで い う科 学 心理学(psychology of sciemce)と は,科 学 的創 造 の過程 を心理学 的 に解明 す る とい った,純 粋 に経験 科 学 的水準 の もの を意 味す るの で はない。 メ タサイ エ ン ス としての科学 心理 学 は,諸 科 学 の様 々 なパ ラダ イム の,心 理 的根 源 とい う意味 で前 提 とな ってい る暗黙 裡の 非反省的でしばしば無意識的で もある一 世 界観 を,心 理学的 に顕在化 させ,相 対化 を図ることに よって,科 学哲学,科 学史,科 学社会学な どか らの科 学批判を補完するものである。 また,そ の ようにして 明 らかにされた暗黙裡の世界観 を,さ らに発生心理学 的に究明することによって,世 界観の心理学へ,さ ら には哲学の心理学への展開の可能性 を孕 むもので もあ る。 本稿がターゲ ットとす るのは厳密には 「科学 として 通用 している科学的生命観」であって,科 学理論 その ものではない。 しか しなが ら,哲 学で しかない 「知覚 の因果説」が科学的説明 として高校生物 の授業で教 え られるのと同様に,そ れが教育の場で「科学的説明」と して教えられている以上,科 学心理学の対象 となって 当然であるし,科 学的生命観 という 「世界観」 を心理 学的に解明することは,世 界観 の心理学の対象 ともな ろう。 以上が本稿の方法論的背景であるが,こ こでの とり あえずの目標 は,「科学的性教育の生命観」を科学的 と 思 い込 ませている心理的根源はなにかを追求 し,相 対 化 を図 るところにある。しか しなが ら,そ れによって, 「私の生 まれた原因」をめぐる問題の真の所在が明確 に なることも期待 され るのである。
CITATION STYLE
恒夫渡辺. (1997). 「私は5億分の1の確率で生まれた」は本当か? 科学基礎論研究, 24(2), 51–57. Retrieved from http://joi.jlc.jst.go.jp/JST.Journalarchive/kisoron1954/24.51?from=CrossRef
Mendeley helps you to discover research relevant for your work.