山津波が流下した範囲について内田一正氏の案内により精密な地図を作製した。源流は大洞とする説と、日影とする説がある。これについて大洞を中心に大正8年発行のものと昭和43年発行の地形図の比較を行った。この結果、大洞を含む白糸川上流部の浸食が著しく土砂生産可能量はすくなくとも100万立方メートルはあると考えられる。これは今村明恒の根府川山津波の推定土量(1-3百万立方メートル)と近い。今村は里人が大洞は後で出来たという証言をしたことから、大洞給源説を否定しているが、これは今村が現地調査を行ったときまでに、最初の崩壊で出来た地形に馬蹄形のくぼみを生じる崩壊が発生したためと想像している。崩積土の粒度組成測定や、山津波の発生時刻、大洞の地質についても検討をしている。
CITATION STYLE
KOBAYASHI, Y. (1979). A Catastrophic Debris Flow at Nebukawa in the Great Kanto Earthquake, 1923. Zisin (Journal of the Seismological Society of Japan. 2nd Ser.), 32(1), 57–73. https://doi.org/10.4294/zisin1948.32.1_57
Mendeley helps you to discover research relevant for your work.