The Building Evacuation during World War 2 in Yokohama City

  • Ito R
  • Oosawa M
  • Kishii T
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Abstract

1.はじめに 1-1.研究背景と目的 第二次世界大戦において、全国各地で都市の防空を強化 するため、重要な街路や鉄道沿線、生産施設など都市機能 に影響を及ぼす主要施設の周辺にある建築物を除却し、都 市機能の防護と延焼を防止することを目的に建物疎開が行 われ、 移転者に対しては移転費が支給されることとされた。 建物疎開実施の全体像については、 「戦災復興誌事業計画 編」に収録されている。全国 279 都市で実施され、610,024 戸が除却または破壊された。最も多いのが、東京都の 207,370 戸で全体の 34%を占め、次いで大阪府の 82,508 戸 (全体の 13.5%) 、福岡県の 41,627 戸(同 6.8%) 、神奈川県 の 35,349 戸(同 5.8%) 、愛知県の 31,173 戸(同 5.1%)と 続く (1) 。なお、建物疎開実施 279 都市のうち、94 都市が戦 災復興都市に指定されていることから、建物疎開跡地と戦 災復興との関係性も考えられる。 各都市における建物疎開に関する研究は、石丸らの一連 の研究 (2) がある。また、建物疎開の実態を扱ったものとし て、大都市である名古屋 (3) 、京都 (4) 、広島 (2) などを対象とし た研究や、 地方都市である長崎市 (5) や旧徳山市 (6) を対象とし たものは確認できた。しかしながら、横浜市における建物 疎開の実態は明らかになっていない。 横浜は、1859(安政 6)年の開港により国際貿易都市と して歩みを始めた。 1923 年 9 月 1 日の関東大震災により壊 滅的な被害を受け廃土と化した。帝都東京と同様、復興計 画が樹立され旧特別都市計画法に基づき復興土地区画整理 事業が実施され、1928 年 7 月には換地処分が行われ、6 箇 年で復興事業は収束し、都市は蘇った。1927 年には、鶴見 町、保土ヶ谷町が編入され市域が拡大すると同時に、臨海 工業地帯の埋立て拡張により工業化が進展し、京浜工業地 帯の一角として工業都市としても発展した。 しかしながら、 関東大震災から 18 年経過した 1941 年には第二次世界大戦 がはじまり、1942 年 4 月に初めての空襲があり、1944 年 12 月に 2 回目の空襲を受け、 1945 年には連日のごとく空襲 を受けるようになった。1945 年 5 月の横浜大空襲では、市 街地面積の 42%が焼失した。横浜大空襲を含め 25 回の空 襲により、市街地面積の 49%が被害を受けた (7) 。このよう な空襲被害を最小限に抑えるため、横浜市においても緑地 や空地を市街地の周辺に設置する防空都市計画が図られ、 防空緑地や建物疎開により空地をつくり出すなどして防空 体制を強化した。 そこで本研究は、第二次世界大戦時の横浜市における防 空計画を示した上で、建物疎開の実態を解明することを目 的とする。そして、現在の建物疎開跡地がどのように利用 されているのかを考察する基礎とする。 1-2.研究方法 横浜市立図書館、神奈川県立公文書館に所蔵されている 文献より、横浜市における防空計画の概要や防空緑地・防 空空地の指定状況を調査することとした。調査の過程にお いて、 建物疎開の実態については神奈川県立公文書館に 「昭 和 19・20 年都市疎開委員会関係編」と「昭和 19・20 年除 去建築物譲渡関係」が保管されていることが判明した。こ の 2 つの書類に横浜市における建物疎開の実態が場所と量 を含め詳細に収録(種別、位置、摘要、面積、幅員、延長、 除却戸数)されていることから、これを全て読み取り転記 した上で、建物疎開が行われた場所を特定し、その場所を 現住所に変換した上で、建物疎開地のおおよその位置を都 市計画図上に示した。なお、建物疎開地については、神奈 川県都市疎開実行本部と内務省により指定された空地を対 象とする。 横浜市における建物疎開の実態に関する研究 The building evacuation is the main project to check the spread of fire by an air raid. 610,000 houses in 274 cities were destroyed for the building evacuation during World War 2. It was made clear that the states of the building evacuation in rehabilitation cities such as Nagoya, Kyoto, Hiroshima, Nagasaki and Tokuyama. This study aims to show that the building evacuation during World War 2 in Yokohama city since they are not clear. As a result, we show that 11 times, 376 districts were specified for the building evacuation there. They are 173ha in area, and 22,246 houses were destroyed. At present, the sites of the building evacuation are used as the road and park.

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Ito, R., Oosawa, M., & Kishii, T. (2014). The Building Evacuation during World War 2 in Yokohama City. Journal of the City Planning Institute of Japan, 49(3), 1041–1046. https://doi.org/10.11361/journalcpij.49.1041

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