Abstract
本稿では, 他者の「私事 (独自の経験やそれにかんする見解や態度) 語り」に対して「わかる」と明示的に理解を表明するやり方の, 会話の中での組織化のされ方を会話分析により記述する. Harvey Sacksによる理解の と の区別を参照して論じながら, 以下2点の問題が提起される. (1) 語りに対する理解の表明の形式としては「弱い」 であるはずの「わかる」が, 「私事語り」に対する理解の提示においてしばしば用いられるのはなぜか, (2) 「わかる」を含む発話連鎖により, 理解の提示を組織化することはいかにして可能になっているのか. 分析の結果, まず「わかる」は, 多くの場合単独では発されず, それに理解の の試みが付加されることにより の「弱さ」が補われることがわかった. このとき, 理解の は相手の語りの中途/語りの終了後の2つの位置に置かれるが, の試みは, 語りの終了後にしか置かれない. 理解の に加えて, 語りの終了後の位置で理解の を試みることによって, 聞き手は, 「私の心はあなたと同じ」であることを語り手に示しており, それを語り手が るという発話連鎖を組織化することによって, 会話の中で理解が達成されることが論じられる. また, この「わかる」連鎖を利用した理解の提示は, 経験とそれへの見解や態度を語り手と聞き手が「分かち合う」かたちでのものであることが明らかになる.
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HIRAMOTO, T. (2011). A Conversation Analytic Approach to Wakaru (Understanding) Others in Everyday Conversation. Japanese Sociological Review, 62(2), 153–171. https://doi.org/10.4057/jsr.62.153
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